常識なんていうものは、ただの人間のいうことだ
そんなものがありがたがっていてなんで偉くなれるか
普通の人間が考えたり、したりすることをしていては普通の人間にさえなれない


 人は御木本のことを「山師」とか「大ほら吹き」と言った。人の意表をつくチャレンジ精神こそが御木本の人生芸であった。
 うどん屋の長男に生まれた幸吉だが、幼い頃から「死んでも悔いぬ、金持ちになりたい!」という想いを高め、うどん屋を手伝いながら、青果物の行商を始めた。東京見物に行った時、外国船の出入りする横浜へ足をのばした。そこで、中国人の商人が海産物のほか、小さな粒の真珠を高値で取引している光景を見て「これだ!これならおれの郷里にもある」。
 それから何年かして妻と二人、鳥羽湾相島で、海中に沈めた養殖貝の籠を次々と引き揚げ、丹念に調べているうち、妻が開いた貝の中に、夢にまで見た真珠があった。夫婦で感動して涙を流し続けた。実に、御木本が養殖を開始して十年目、横浜で真珠の事業を決意して十六年がたった三十五歳のときである。
御木本のはったりも、ここまでくれば本物である。
 明治天皇が伊勢神宮へ行幸の際、地元の実業家を代表して御木本パール店にお越しになった時に彼は、
「世界中の女性の首を真珠で締め上げてご覧に入れます」
と大言壮語したという。その後、御木本パール店は世界へと飛翔していったのである。


【プロフィール】
御木本 幸吉(みきもと・こうきち)1858年生まれ。
貝の中に異物を入れ、人工的に真珠を作るという手法を考え出し、その実験にとりつかれ財産を食いつぶしてまでも世界初の養殖真珠を開発した。