我仕事ははじめる最初が肝心である、
その仕事が何であっても、最初の出発点をしくじると、たとえうまくいく仕事であってもうまく発展しないものだ
戦前の子ども達が夢中になって読んだ偉人伝に森永が登場している。〝幼児期に父を失い、さらに母とも別れて孤児同然の身となった少年太一郎が、繰り返し押し寄せる困難にもめげずに努力精進して、ついに製菓王となるまでの歩みが語られている〟この本を手にした子どもたちはまるで冒険物語を読むようにむさぼり読んだという。「森永語録」は、製菓王とされる森永が創業についての心得を物語ったものである。
彼が日本で初めて西洋菓子製造に取り組んだのは三十五歳の時である。十年間アメリカで磨いた製菓職人修業の腕を生かすべく、赤坂の小さな家の土間で、マシュマロの製造から森永製菓はスタートする。
「無から有を生み出す創業には、まずこれでなくてはいけない」と、〝資本三分主義〟を実践した。三分主義とは手元資本を固定費、流動費、予備費の三つに区分、しかもスタート時点には投資額を手元資本の三分の一以下におさえるというものである。
「菓子づくりこそ自分の天職」と心に決め、やりとげた森永なりの創業法といえる。
今や大企業となった森永も、小さな家の土間からスタートした商店であったことを知ると感慨深いものがある。次代の日本を負う若手ベンチャー起業家達も未来に夢を持ち、三分主義で頑張っていただきたいと願わずにはいられない。
【プロフィール】
森永 太一郎(もりなが・たいちろう)1865年生まれ。
製菓王・森永太一郎は昭和のはじめ、子ども向け『偉人伝文庫』の大スターの一人で数多くの子供達に、生きることの素晴らしさを教えた。