『我に艱難を与えたまえ』
艱難こそが
不断の人間成長を促す
筆者の主催する「企業家ミュージアム」(千代田区外神田)の“土光コーナー“には土光家から借用した一本の「ステッキ」と「お経の本」が展示されている。いずれも土光が毎日使用し、その生きざまを強烈に表す遺品である。
展示してある経本は「法華経」であり、土光はこれを毎朝三十分は読み「我に艱難を与えたまえ」と祈ったとご子息・陽一郎から聞いている。
また一本の古びたステッキは、十七年間も使った傷だらけのものである。まさに「自分は質素に国のためにつくす」と、土光が未来の国のために艱難を受けて立ったシンボル的な遺品である。
中曽根内閣の「臨調」を中心となって推進していた時、土光が国民的人気になったのは、NHKで「土光敏夫の私生活」が映し出され、その質素な暮らしぶりが話題を呼んだからだ。夕食のおかずがなんと“めざし”だけだったのを見て多くの人はショックを受けた。
土光さんほどの偉い人が“めざし”だけという映像を見て、思わず我が家の食卓と比較し“偉い人は貧しくもつらい人だ”と感じたものだ。「暮らしは低く、思いは高く」と、土光は日本を誇る、国民が敬愛するリーダーであった。
【プロフィール】
土光 敏夫(どこう・としお)1896年生まれ。
IHI(元石川島重工)や東芝を立て直し、後に経団連の会長となる。また、中曽根内閣の臨調の時は国鉄を分割民営化してJRにするなど実績は多い。〝めざしの土光さん〟として国民的人気を背景に政財界に大なたをふるう。