主人と使用人は分け隔てなく
同じものを食べることだ
また店員に失敗があっても、ガミガミと叱ったりせず、できるだけにこやかにしていることだ
神奈川県の農家の次男に生まれた小菅は、十三歳で東京の湯島天神近くにあった呉服店「伊勢庄」に奉公に上がった。厳しく苦しい修業が続くが、丹治は歯を食いしばって耐え、二十八歳で独立、神田明神下に小さな「伊勢屋丹治呉服店」を開いた。
丹治は店員と共に汗みどろになって働いた。また、店員にはいつもやさしい思いやりをかけていた。
日々の食事は、ほかの店では最初に主人が食べ、その次に番頭、手代、丁稚といった具合に順番が決まっていたが、丹治の店ではみんなが一緒に、なごやかに談笑しながら食べた。しかも主人も使用人も、全く同じものを食べた。
また店員が、一生懸命やって失敗したことなら、いろいろと話して聞かせるが、決して叱ったりはしなかった。企業が伸びるか否かは、いかに人を大切にするかどうかにかかっていると丹治は語っていた。
伊勢丹の人事管理の基本には“人間尊重”にある。これは初代小菅丹治が創業時につくりあげたものである。伊勢丹は今でも人間を大切にし、働きやすい職場をつくりあげるという考え方が継承されている。
【プロフィール】
小菅 丹治(こすげ・たんじ)1859年生まれ。
伊勢丹の代々の経営者は小菅丹治の名を継承している。ここに紹介する初代は店祖と呼ばれている「伊勢屋丹治呉服店」を創業した。