経営者には陣頭に立って指揮をとるタイプと部下に信頼されて、いつもみこしのようにかつがれるタイプの二つがある(私はかつがれるタイプだ)
大学二年の時、父を亡くした本庄は、家計を助けるため実力で稼げる車のセールスマンになる。「セールスマンになったからには日本一になってやるぞ」と志をかかげ持ち前のバイタリティーをもってトップセールスの座についた。本庄には特有のカリスマ性が備わっていたようだ。
三十歳になったとき、本庄は独立を決意する。「本庄さんが独立するなら、ぜひ私たちも一緒に」と後輩たちに懇願され、仲間で力を合わせて「日本ファミリーサービス」という会社を設立、そして翌年正式に「伊藤園」と改称し、お茶の販売だけに絞って活動する。
彼の会社を飛躍的に伸ばしたのは、ウーロン茶である。当時はウーロン茶を扱う会社は少なかった。本庄も自分で飲んでみては「これじゃ売れないよ。かえって足を引っ張ることになるかもしれない」と首をかしげた。しかし、社員たちは「社長、絶対に大丈夫ですよ、やりましょう!」と言い張った。
本庄は思い切ってやらせてみた。すると健康飲料的なイメージも受けてか伊藤園のウーロン茶は売れに売れた。こんなことがあって、本庄は率先垂範というより、「部下に信頼され、かつがれ、みこしにのって動くリーダーシップもいいものだ」と実感したようだ。
【プロフィール】
本庄 正則(ほんじょう・まさのり)1934年生まれ。
零細企業ばかりのお茶の業界で、本庄の率いる伊藤園は、マーケティングを重視した積極的な商品開発戦略で、たちまち業界のトップの座へとリードした。